■2000年 インターナショナル Zcarコンベンション in ラスベガス <PART 2> |
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Y2K Zcarコンベンション・ラスベガス 2000年6月25日〜30日 北米カルフォルニア州にて <2000 International Zcar Convension - Happy 30th Anniversary to the Zcar> |
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(16) 夕方ようやくHOTELリビエラに到着。我々は自由行動。久しぶりのラスベガス。ホテルのロビーでいろんな日本の自動車雑誌社の人々に会った。その訳は・・・! いつの間にここに来たの? | ||
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(17) 翌朝HOTELリビエラのロビー一角に全米より集まって来たZcaeオーナー達。参加費はリビエラ泊まりで60.00ドル、Tシャツ・帽子・記念プレートをくれた。オープニングレセプションが15.00ドル。参加日程やラスベガスサーキット走行会など別途支払い方法がとられていたが安いよね。 | ||
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(18) HOTELの駐車場には全米から集まって来たアメリカンZcarsがぞくぞくと集結。 | ||
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(19) 在米フィリピン人のご夫妻。Gnerra氏。実に完璧にアメリカン・テイストされたエンジンルーム。パワーステ付き。ちょっとこのエンジンの仕上げは判別つかないよな。店長の関口は実に良くチェックや質問をしていた。現在連絡が取れないのが残念である。 | ||
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(20) ちょっと時間があいたのでパリまで行ってみた。ここのすぐ近くにエジプトもある。まったくここに居ると日本のスモールワールドとは、けたが違いすぎるよな。 | ||
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(21) 夕方より、HOTELリビエラのトップラウンジにてレセプションが始まった。 | ||
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(22) 各々の人達のスピーチが始まった。ご存知ビッグマック・・・じゃなかった、マッド・マイクでもないな・・・・。マイク・テーラー氏でした。 | ||
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(23) 片山氏のご家族のテーブル。 | ||
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(24) Mr.Kこと片山豊氏。片山氏のスピーチなくしてこのレセプションは存在しない。この時DSCC(ダットサン・スポーツ・カー・クラブ)を最初に紹介してくれた事は、私は決して忘れる事はない。感動した一瞬であった。素晴らしき人である。すべてのZフリークのアメリカ人達は彼を心から愛している。そして日本人達も。 | ||
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(25) 日産商品開発主管の湯川氏によってスピーチが始まり現在役員となられた中村氏らと共にZ33のレタリングが、この日の為にプレゼントされた。日本からも多くのジャーナリスト達が来ていて、このレタリングから全体図を後日デザイン想定され日本中のカー雑誌などで賑わせた事は周知に新しい。 | ||
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(26) おなじみJ'sのツボ氏をはじめ多くの参加者のスペシャリストに記念のレタリングがプレゼントされ米国の友人ら共に賞賛された。一晩中笑顔の絶えない片山氏であった。この人の長生はこのくったくのないすべての人々を魅了する笑顔にあるのだろうと私は思う。お酒にはめっきり弱い高賀茂氏のようであった。 | ||
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(27) 日本でも有名なピエールZショップのピエールとダニエル夫婦。 | (28) クラシックダットサンのSRでは全米でも日本でもこの人は外せない。オーナーのレス・キャナディー氏とその友人達。 | (29) 英国から参加されたロイ氏とその彼女。彼女には何度もこのニスモのポロシャツを私にプレゼントするようにと言われてしまった。 |
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(30) レスのSHOPのお客さん(サンディエゴのポリス)の彼女。彼女は何故かずっとJDS千葉の店長でもあり、DSCC千葉の支部長でもある関口を「ユウジ ユウジ」と呼びビールを飲み交わしていた。酒には絶対的な強さを見せるユウジであった。 | (31) 見てよ!もう周りのアメリカ人はダウンしてるのにユウジはぜんぜん平気。 | (32) テイラーことマイク氏。この人も人なつっこいテキサス人。大きな体型はMr.Kと互角かな。すべての日本人を平等に愛してくれる。 |
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(33) そのマイク氏を支える若きテキサスのZフリーク。ほぼみんなZ32のオーナーである。カール、アイスマンことマーク、レセルの友人達。皆、最高の一夜を心にいだいただろう。 | ||
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